【歴史】共通点が多い徳島と千葉

千葉と徳島にみられる共通点

日本が誇る大都市・東京の隣に位置し、千葉市など大都市もありながら山と海に囲まれ様々なレジャーも楽しめる千葉県。かつては下総国・上総国・安房国と三国に分かれていた。

房総半島の南側、館山や鴨川、南房総のあたりは安房国(あわのくに)なのだが、昔四国の徳島県に行ったとき、阿波国(あわのくに)と名前が同じなのは偶然なのかなにか関係あるのかな?と不思議に思い調べてみた。

思ったよりあっさりと情報は出てきた。まず阿波忌部氏という氏族があらわれる。

千葉、さらに全国に技術を広めた忌部氏

一般社団法人 忌部文化研究所によると 

・「忌部」(いんべ)とは、古代よりヤマト王権の宮廷祭祀・祭具製作・宮殿造営を掌った名門氏族である
・天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖神とし、『古事記』『日本書紀』では、天岩屋戸神話や天孫降臨神話で活躍する事績が見える。中央忌部は、天太玉命を祖とし、奈良県橿原市忌部町の「天太玉命神社」を根拠地とし、各地の品部(ともべ)[職業集団]となる忌部氏を率いた

とある。やがて中臣氏・藤原氏に勢力差をつけられ力を失っていったようだが、忌部氏は日本全国に多大な影響を残していったという。

・林博章氏の研究による一考察で、忌部氏は日本各地に麻・榖(かぢ)を植え、農業・養蚕・織物・製紙・建築・漁業・衣食住の生活文化技術や産業技術・古墳築造技術(農業土木技術)などを伝播させた技術集団、かつ祭祀集団であったことが次第に判明してきた。
・今から約1700年前、吉野川流域一帯には、阿波を拓いた阿波忌部族が住んでいました。『古語拾遺』や『安房国の伝承』によると、神武天皇の命を受けた天富命と阿波忌部族は、黒潮ルートで房総半島へ到達、以後、関東一円を開拓していった。

つまり、当時の房総半島に新しい技術と産業をもたらし繁栄の礎を築いていったという伝承である。

「忌部」という字面を見ると一瞬あまりいい意味ではなさそうな…と思うが穢れを忌む集団という意味だそうで、「忌」とは、慎みをもって神事で穢れを取り去り、身を清めることだという。

つながりは神社にも                                                                  

阿波忌部氏がもたらした麻の栽培は房総半島で成功し、やがてそれは土地の名前になる。麻の古語はふさ=総であり、都に近い方を上総、遠い方を下総とした。そして忌部氏が移り住んだ土地を安房(あわ)と名付け広く総州、やがて房総と呼ばれるようになる。

このような土地の歴史というのは神社を調べてみると共通項があったりするようだ。

忌部神社

徳島県徳島市の眉山の麓に鎮座する神社。阿波忌部氏の祖神とされる天日鷲命を祀る。

古くは四国一宮と呼ばれるほどの規模を誇ったが戦国時代に灰燼に帰し、長らく所在地不明となる。再建の話が上がればどこに建てるかで大論争が起きる。明治時代に論争を鎮めるため太政官布告により現在の地に鎮座することとなった。

大麻比古神社

徳島県鳴門市に鎮座する阿波国一宮の古社。御祭神は天太玉命。忌部氏が祖神とする神様である。阿波忌部氏の祖神とされる天日鷲命との関係は、天太玉命に仕えた義兄弟だというのが『古語拾遺』で記された説だが定説ではないという。

天太玉命の孫とされる天富命が阿波忌部一族を率いて阿波国に移り住み、太祖天太玉命を祀ったというのが創祀とされる。

大麻比古神社
〒779-0230 徳島県鳴門市大麻町板東広塚13概要徳島県内で最も社格の高い阿波国一宮に指定される名社。有名な神社なので秘境ということもないのだが、朱の大鳥居から境内までの、灯籠に囲まれた長い参道は特に霞んだ雨の日なんかは秘境の奥深くへ進...

その後天富命は忌部氏を率いて黒潮に乗り、現在の千葉県に渡ったとされる。阿波忌部氏が移り住んだとされる土地が安房国となる。

安房神社

千葉県館山市に鎮座する神社。天富命が創建したというこの神社は、忌部氏の祖神天太玉命を主祭神とし、境内には奈良時代に新たに造られた天富命を祀る社もある。

近くの洞窟遺跡からは人骨や貝製の腕輪、縄文土器などが出土し、人骨の一部は宮ノ谷に移され忌部塚として祀られている。

天太玉命は技術集団・忌部五部神を率いて御神宝の製作などに携わったとされるが、この五部神の中に忌部神社の御祭神である天日鷲命がいる。安房神社にはこの五部神も鎮まる。

このほかにも館山市の同じく安房国一宮を名乗る洲崎神社洲宮神社などは天太玉命の后神である天比理刀咩命が鎮まっている。また安房神社の程近くの布良に鎮座するする布良崎神社には天富命が祀られている。

天太玉命の后神である天比理刀咩命を祀る洲崎神社
東京湾を見下ろす

まとめ

なんとなく共通点あるなーぐらいだったのが調べてみるとしっかりした神話が残っているレベルで関わりが深かったというのが何より驚きであった。千葉県だけでなく、茨城県結城市の名も、木綿(ゆう)城(←区画を表す言葉)から来ており、忌部氏の伝承がしっかりと残っている。                                               

土地の名前や神社などを調べてみることは自分の住む町、国を学ぶことにつながる。                     もちろん歴史というのは長い時間の中で修正されたり、自分の目で確かめることができない以上真実かわからない部分もある。ただこうしたちょっと面白いな、と思うことがきっかけで今まで何があるのか知らなかった地方の都市に興味が湧くというのは生きていく上でも、地方の未来を考えていく上でも重要なことだと感じた。

御朱印

最後に今回紹介した各神社の御朱印情報。

忌部神社 〒770-0928 徳島県徳島市二軒屋町2丁目53−1                              大麻比古神社 〒779-0230 徳島県鳴門市大麻町板東広塚13                                 安房神社 〒294-0233 千葉県館山市大神宮589                                     洲崎神社 〒294-0316 千葉県館山市洲崎1697

出典:                                                               一般社団法人 忌部文化研究所HP                                                           DeAGOSTINI 日本の神社 など

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